先日のお客様。
バリバリのキャリアウーマンの女性。
連日止むことのない頭痛で悩まれている。
話を聞いていくと、働き方がすさまじかった。
どう考えても、1人でやれる仕事のキャパを越えている。
3人分くらいの仕事を、1人でこなしている状況だ。
終わることのない書類の山に向かって毎日12時以上働き、帰宅してからも翌日の仕事の段取りをこなす。
しかも、中間管理職として、大きなストレスを抱えながらの状況。
他部署の仕事や後任の育成も担当せねばならない。
会社の事情を知らない第三者の目(私)から見ても、どう考えても抱え込むものが多すぎる。
そりゃあ、身体も悲鳴をあげて、調子を崩してしまいますよね。
という状況だった。
実際に触診しても、随分と過緊張状態が癖付いてしまっている。
筋肉の緊張が、うまく抜けないのだ。
それでもご本人の口から出てきたのは、
「私がもっと頑張らなければ・・・」
という言葉だった。
「いやいや、充分に頑張りすぎだと思います。」
私の口からは咄嗟に、そんな言葉が出てきた。
会社の事情や仕組みも知らない私だが、そう言わざるを得なかった。
なぜなら、これ以上頑張り続けるなんて、あまりにも心配だからだ。
既に体は悲鳴を上げている。
すると彼女は、
「え?・・・新鮮な意見です。自分のいる環境では、頑張るのが当たり前だと思っていました。」
そんなことをおっしゃっていました。
彼女にとっての「当たり前」と私にとっての「当たり前」
が違っていたのです。
さて、誰でも、「思い込み」があると思います。
「~であるべき」
「~せねばならない」
「それが当然」
それらは本当に、そうなのでしょうか?
限られた環境のなかでは、それが「当たり前」なのかもしれない。
しかし一歩引いて俯瞰で見ると、実はそれが「当たり前」ではないのかもしれない。
単なる小さな世界の思い込みなのかもしれない。
彼女にとっては、身も心もボロボロになってでも、
頑張って頑張って頑張り続けることが「当たり前」であった。
しかしそれは僕にとっては「当たり前」ではない。
どちらが正解・不正確ということはないのでしょう。
彼女の力になりたくても、僕は彼女の職場環境を変えることはできない。
その状況に関しては、ただ聴くことしかできない。
しかし、辛さを吐き出すことで少しでもスッキリしたり、
何か少しでも気づきになることがあれば、とても嬉しい。
せっかくご縁を頂いたお客様だ。
どうか幸せな人生を送ってほしい。
会話の途中で、彼女に、
「それで幸せなのですか?」
と尋ねたところ、
「幸せではありません」
との返事だった。
どうか幸せになってほしい。。。
<P.S>
そういえば、アインシュタインの言葉でこんなのがあります。
「常識とは、その人が18歳までに身につけた思い込みのコレクションである。」
あなたにとっての「常識」は、いかがですか?
<P.S 2>
なぜこんなことを言うのかというと、私にも大きな「思い込み」の経験があるからです。
私事ですが、それについては次回のブログで。。。
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